「ここきち」が選んだ旬の人にお話を伺いました。

1959年、秋田県生まれ。岩手大学農学部へ進み、大学院修了。現在、恵泉女学園大学人間社会学部教授。専門は野菜園芸学、植物育種学、農業教育学。NHK『趣味の園芸 やさいの時間』で講師を務めるほか、
各地の市民農園講座でも野菜づくりの指導を積極的に行っている。著書に『キュウリのトゲはなぜ消えたのか―サプライズな『野菜学』』(学習研究社)、『野菜づくり大図鑑』(講談社)ほか多数。
日本の食の風景「こころのキッチン」を守り、育てて行くために、様々な立場の、様々な人たちが、様々な活動を続けています。
今回は、野菜や草花を育てることで生活の豊かさを見いだそうと、いわゆる食料確保のための農学とは違うアプローチで「園芸」の魅力を伝えている恵泉女学園大学教授・藤田智さんにお会いしてきました。

野菜づくりの意義を広く伝えていたら、
「野菜づくりの伝道師」と言われるように。

 岩手大学農学部の大学院を修了して、現在は東京都多摩市にある恵泉女学園大学の教授をしています。担当科目は「生活園芸」など6科目。日々、女子学生とともに畑で野菜づくりをしているわけですが、本大学は人文学系、社会学系の女子大でありながら、1年次に「生活園芸Ⅰ」が必修で存在します。創立以来、学生全員に野菜づくりをやらせる、というユニークな大学なのです。
 その効果ですが、まず1つ目は「歓びは苦労の向こうにある」ということを実感できること。
 相手は18、19歳の女性ですから、最初は手を汚したり、汗を流したりすることに文句を言います。しかし卒業時のアンケート集計では、「一番印象に残った授業は?」という問いの答えの9割が「生活園芸Ⅰ」。つまり、1年間人が敢えてやらないような苦労をすることで、それぞれの学生の心が変わるのではないでしょうか。それは自然に対する畏敬や、苦労に見合った野菜が収穫できるという歓びに相違ない。簡単に野菜ができたら、なんら園芸教育の効果はありません。苦労して、その苦労の向こう側に収穫という歓びがあるのですから。
 2つ目は、化学肥料や農薬を使わないで、安全・安心な食を得るとはどういうことかを実体験すること。安心・安全な食料を得るためには虫や病気と闘わなければいけません。虫を潰すのは嫌かもしれないけれど、潰さないと食べられない。そういった食料を得る大変さ、難しさを知ることが重要だと思います。
 3つ目は、園芸がコミュニケーションツールとして非常に有用であると知ること。野菜づくりで高齢者の方々が仲良くなったり、花づくりで町が美しくなったり、地域の活性化に園芸は有効ですが、大学でも1つの小さな畑を必ずふたりで管理させます。大学に入学したばかりで、お互いに知らない者同士が、協力しあってジャガイモを育てる。その間にコミュニケーションが生まれるというわけです。
 大学での授業、研究以外で言うと、30代半ばから執筆活動を始めたのですが、そのうちの1冊がNHK番組『趣味の園芸』の眼に止まり、2000年に一度出演することになったのですが、プロデューサーの方が「来年の4~6月の3ヵ月間、野菜づくりの番組をやりませんか」と言って、『趣味悠々・ベジタブルガーデンを楽しもう』という番組講師を務めることになりました。
 また88年から社会人講座も行い、講演会にも呼ばれ、市民農園の野菜づくりも指導するようになりまして、04年頃ある雑誌が「喋り方が伝道師のようだ」と言ったことがきっかけで「野菜づくりの伝道師」と呼ばれるようになったんです。僕自身は「宣教師」が良かったんですけどね(笑)。
 08年4月から始まった私にとって3つ目の番組『やさいの時間』は今年で3年目ですが、一緒に出演している西城秀樹さんにこの6月、大学でトークショーに出演していただきました。その際に学生が「私たちみたいに野菜づくりをしている女子大生ってどう思いますか?」と尋ねたところ、西城さんが「野菜づくりは時代の先端だ。こんな世知辛い世の中には野菜づくりのような人の心を癒すようなことが必要なんだ。それをやっているあなたがたは誇りを持って歩いていい」と言ってくださったんです。これは本当に嬉しかったですね。
藤田智さん(恵泉女学園大学人間社会学部教授)
「野菜づくり、園芸がここまで広く受け入れられているのは、土に触れる歓びが伝わったからではないでしょうか。定年になったあと農業に帰る『定年帰農』という言葉も7,8年前からありますし、野菜を作って収穫して食べる歓びというのは、何事にも代え難いのかもしれません」と藤田教授。

宮沢賢治に憧れて大学を決めた。
目指すは賢治のような地に足をつけた農学者。

 私は秋田県湯沢市で生まれ育ちました。実家が米やリンゴなどの農家をしていて、農業の良さや大変さは子どものころから知っていました。私にとっては、冬が明けて田んぼの雪が溶けると、そこに稲の苗が植えられて、秋にはその稲穂が黄金色に輝く、という、この土地の四季の移り変わりが心の原風景でした。
 それから宮沢賢治の存在があります。中学時代に「雨ニモマケズ」や「永訣の朝」、「銀河鉄道の夜」を読み、農民のサイドに立って農業を指導しながら、優れた文学作品を残した宮沢賢治に憧れました。それで賢治はどこを出たのかを調べたら、盛岡高等農林学校という、現在の岩手大学農学部の前進の出身でした。自分も農学を学び、地域に知識や技術を提供する人間になりたい、そう思って、岩手大学農学部に入ったのです。
 大学院を修了したのちは、農業高校の教員になろうと思っていました。しかし、そのころの岩手県や秋田県の農業高校の教員は120倍くらいの高倍率で、残念ながら採用されなかった。それで研究してきた野菜や草花の品種改良を仕事にしようかと思っていたのですが、結局、盛岡市内の女子高の農業・理科の先生の求人があり、迷うことなくそこに決めました(笑)。
 ただこの女子校が求めていたのは、私の目指す専門的な農業教育ではありませんでした。それで私はだんだんと「学生に本格的な園芸の技術を伝えたい」との想いを募らせるようになり、2年目の秋に大学の担当教授だった先生から「恵泉女学園に行かないか」と言われて移ることを決めました。それから私自身の野菜の栽培の本格的な研究が始まったのです。
 大学では助手、助教授を経験し、現在は教授となり、いまでも「第二の宮沢賢治」を目指しています。が、残念ながら詩や童話はたいしたものが書けず、ただ農業に従事しているJAの女性部の人たちとか、家庭菜園を楽しむ一般市民や学生に農業の良さ、野菜づくりの良さを伝えることによって、少しは宮沢賢治の爪の垢程度にはなれるかな、という感じでしょうか。宮沢ケンジならぬ、宮沢ケンゾウくらいにはなりたいですねえ、なんとか。
授業風景

昔話「桃太郎」の創作続き話に見る
人が働くこと、生きることの意味とは。

 いまは「半農半X」なんて言葉もあり、週末に市民農園で野菜を育てることが一般的になりましたけれど、今後は野菜づくりの裾野がただ単に広がっていくだけではなく、深みが増すように何をするかが自分の課題です。
 たとえば、作った野菜を調理して、友人たちに食べさせる歓びというのもある。それが地域の生活文化を改良する、仲間作りを促進するところまで行けば、日本ももっとずっと良くなると思うのです。
 朝日新聞社に勤めている岩手県出身の古館さんという方と以前お会いしたときに、こんな話になりました。
 昔話の『桃太郎』というのは、桃太郎が鬼ヶ島で鬼を退治し、財宝を持って村に帰り、村人に分け、幸せに暮らしましたという話ですよね。それには続きがあるだろうと。
 それを古館さん作、藤田脚色で話すと、桃太郎が帰郷して1年目はよかった。しかし2、3年したら誰も働かなくなった。その上、村の男女の風紀も乱れてきた。その村の様子にすっかり嫌気が差した桃太郎は、村人たちから財宝を集めなおし、もう一度鬼ヶ島の鬼に返しに行く計画を立てた。そしてイヌ、キジ、サルにその計画を持ちかけるのですが、彼らに「桃太郎さん、私たちはこの生活にすっかり慣れてしまいました。もうあのような危険を冒したくありません」と言われてしまう。桃太郎は仕方なくひとりで鬼ヶ島に行くのですが、そこで見たものはなんだったか。青鬼や赤鬼が一生懸命汗を流して田んぼや畑を耕している姿だったわけです。桃太郎が「財宝を返しにきました」と言うと、鬼たちはこう言いました。「桃太郎さん、私たちは汗を流して働く喜びを知ってしまいました。そんなものは要りません」。途方に暮れた桃太郎は鬼ヶ島の土深くに財宝を埋め、放浪の旅に出、2年後に村に帰ってくると、そこにはかつてのように汗を流して田んぼや畑を耕す村人たちの笑顔がありました。おしまい。
 と、ちょっと長くなりましたが、人が働くとはどういうことか、生きるとはどういうことか、生きる上で一番大切なのは何か。これが桃太郎の創作続き話でわかるのではないしょうか(笑)。
 まあ、汗を流して働く歓びというのは、やってみたらすぐにわかること。私にはそうやって自分を育ててくれた親がいてよかったなと思います。だからというわけでもないですが、私にとっての「こころのキッチン」は、母親の手料理ですね。結婚して20年、家内の薄味に慣れた自分には、先日久しぶりに食べた母親の手料理がひどくしょっぱくてね。それでも自分の味の原点を問うと、その母の、味の濃い料理なんです。そしておもしろいことに私の2人の息子にとっては、家内の料理が味の原点であり、一番おいしいと言う。母親の味というのはやはり永遠ですね。

(2010/09/16)

NHK「趣味の園芸 やさいの時間」HP
http://www.nhk.or.jp/engei/yasai/
テレビでもお馴染み、藤田教授の社会人園芸講座(多摩フェスティバル)。