「ここきち」が選んだ旬の人にお話を伺いました。

1962年、長崎県生まれ。ホテル専門学校卒業後、3軒のホテル内フレンチレストランで給仕として働く。90年に渡仏。帰国後、銀座のフランス料理支配人、恵比寿「タイユヴァン・ロブション」の第一給仕長を務める。99年有機農業の道に進むことを決意し、静岡県芝川町に移住。07年野菜惣菜店「ビオデリ」、09年レストラン「ビオス」をオープン。著書多数。近著に『畑から届いた採れたてレシピ』(学研)。

日本の食の風景「こころのキッチン」を守り、育てて行くために、 様々な立場の、様々な人たちが、様々な活動を続けています。 今回は、「中山間地における有機農業の新しいビジネスモデルを作ること」をミッションとし、静岡県富士宮市で有機野菜の栽培をはじめ、デリ、レストランも経営している「ビオファームまつき」代表取締役・松木一浩さんにお会いしてきました。

給仕長としての日々にふと疲れ、
太陽とともに働く人間的な仕事に憧れた。

 長年フレンチレストランの給仕という仕事に従事し、「メーテル・ド・テル(給仕長)」まで上り詰めましたが、あるときそのような地位や安定した日々を捨て、農業の世界に飛び込みました。そういう意味ではちょっと異色の農業人かもしれません。
 名古屋のホテルマンを育成する専門学校を出たのは20歳のとき。そのまま名古屋のホテルに就職したのですが、一番しっくりきたのがレストランサービスでした。もともと食べることが好きで、学校の授業でも「美食学」に興味があったので、自然な流れだったと思います。
 給仕のおもしろさは、料理と接客の両方に携われること。自分が作るわけではないですが、その料理やワインについてお客様に説明するため、食材の効能や歴史、調理方法、果ては語学までいろいろ学ばなくてはいけない。料理とサービスと雰囲気のレベルがすべて高かったときに、お客様に「ありがとう」「おいしかった」とご満足いただけるわけですから、非常にやりがいがありました。
 その後、仕事をより深く学ぶために東京のホテルで5年ほど、さらに本場で学ぼうと90年に渡仏、「ニッコー・ド・パリ」で働きました。帰国後は銀座のフレンチレストランで支配人を、次に恵比寿の「タイユバン・ロブション」で給仕長をしました。
 しかし、あるとき少し疲れたんですよね。初めて「仕事を変えたい」と思った。朝日が出たら働いて、日が暮れたら帰宅するという、人間的な仕事に強い憧れを感じるようになったんです。それで農業をやろうと決心し、店を辞め、栃木の農家で1年半の農業研修を受けました。
 最初は体が慣れなくて辛かった。相当タフな人間だと自負していたけれど、やはり使う筋肉も頭も違いますから。腱鞘炎にもなって手術したこともあります。毎日不安がなかったわけではないですが、でも、もうあと戻りはできない、やるしかないと自らに言い聞かせ、とにかく前だけを見て走っていましたね。
齋藤章雄さん(元コンラッド東京 日本料理統括料理長・現「典座舎」代表)
「有機野菜を選んだ理由は、人間も地球上の一つの生き物として生かされており、他の生き物を敵視せずに環境の中で適応した形でやっていけばいいという、当時感じていたフィロソフィカルな観念と共通していたから」と松木さん。

産業でこれから一番伸びしろがあるのは農業。
新しいビジネスモデルで一石を投じたい。

 妻の実家でもある静岡で有機農業をやろうと、静岡県芝川町(現富士宮市)に移り住んだのは2000年秋です。1200坪で始めた畑は現在9000坪。恵まれた自然環境の中、農薬や化学肥料を使わずに、旬の露地野菜を中心に年間80品目以上の野菜を作っています。最初の6年は直売所や自然食品店での販売とネットの通信販売がメインで、07年にデリを、09年にレストランをスタートさせました。
 まずデリに行き着いたのは、できた有機野菜をどうやったら自分らしい形でお客様の食すところまでもっていけるか試行錯誤した結果です。最初からレストランはムリだろうと思い、小さな面積でお惣菜屋兼イートインならできるのではないかと「ビオデリ」を始めました。そこでお客様の反応の良さや、1年やってみて、うちの野菜だけで料理が回る実感を得たことで、「レストラン ビオス」もオープンする運びとなりました。
 このレストランは09年に立ち上げた「ビオフィールド1000プロジェクト」の一貫でもあります。テーマは「周辺環境と調和し、生活の糧を得る永続的な仕組みを構築すること」で、中山間地における有機農業のビジネスモデルになればと考えています。
 プロジェクトを始めた直接のきっかけは特にないのですが、あえて言葉にするなら「農業の生業としてのおもしろさに気がついた」ということでしょうか。それまでは自給自足に毛の生えたような暮らしができて、自分自身が楽しく自分らしく等身大に生きていければいいと思っていた。でも、いまは生業としての農業を成功させ、なおかつ農業の世界に一石を投じたいという想いがすごく強くなりました。
 農業というのはこれから一番伸びしろのある産業です。まさに宝の山が眠っている。伸びしろというのは、具体的には2つの方法が考えられます。まず1つ目は、規模を集約し、土地面積が大きいというスケールメリットを活かしつつ、コストを削減、なおかつ国産を売りにして、海外産との差別化を図って収益をあげる方法です。
 具体例で言うと、長野県の農業生産法人トップリバーさん。ここは主にレタスを生産しているのですが、安全性重視の生協、大きさを求める加工業者、形を優先するスーパーと、取引先のニーズによって品種を変えて生産し、大きな成功を収めています。
 もう一つがうちのようなスケールメリットを活かせない中山間地の農家で、できた野菜、産物に対して、付加価値をつけて高く売るという方法です。付加価値というのはうちで言えば、少量多品目栽培、有機、加工品生産、デリやレストランでのサービス提供ということになります。
 こういったブランディングはどんどんやればいいと思います。競争が激しくなってブランドの差別化がなくなるということは実はない。他の業界で考えてみるとわかりますが、たとえばソニーとパナソニックのカメラやビデオにはほとんど差はないけれども、どこかにその会社のオリジナリティがあって、消費者はそれを見つけて購入します。農業の世界も今後はそうなっていけばいいのではないでしょうか。
野菜は年間80品目以上が生産されている。季節の野菜が7〜9種類がつまった「野菜セット」2,310円(送料590円より)、ほか単品でも発想してくれる。ジャムやクッキー、パスタソースなどの加工品も。(詳細はHPにて。)

会社になったからには、ただ稼ぐのではなく、
社会に貢献できる形を模索したい。

 有機野菜を作って売るだけの生活から、「ビオファームまつき」という会社を興して、従業員を雇い、デリやレストランを運営するようになると、自然と会社というものの存在目的がハッキリしてきます。それは社会に貢献するということ。
 うちが地域や社会に貢献できるとしたら、農業をやりたいという人を増やすこと、遊休地の解消、あるいはすでに農業をやっているのだけどうまくいってない人たちに何らかのアイデアやアドバイスを提供することなどでしょうか。会社でやるか、NPOのような形でやるかはわかりませんが、今後の課題はこういう活動をどう続けていくかですね。
 すでにスタートしていることも多々あって、たとえば「ビオフィールド1000プロジェクト」の一貫として、昨年から研修生を引き受けています。研修期間は1年。修了後は、昨年の2人で言うと、1人はうちの社員になり、1人は別の農場の研修に行きました。今年も2人預かっています。
 それから、レストランの隣の農園で野菜を育て収穫を体験する「野菜塾」というのもあります。参加者の皆さんの参加動機は、土に触れたい、野菜を作ってみたい、採れたて野菜を食べたい、農薬や化学肥料を使わずに野菜を作る技術を身につけたいとさまざま。コースは半年が一期で(隔週で授業)、静岡県内のみならず、神奈川や東京からの参加者も多く、遠くは千葉から通っていらっしゃる人もいます。今後もお客様に役立つ農業体験プログラムを組めるよう、定期的なイベントも行いたいと考えています。
 給仕長をしていたくらいですし、高級なレストランで素晴らしいサービスを受けるのはいまも好きですが、「こころのキッチン」といって思い浮かぶのは、やはり家族と囲む食卓ですね。ふと仕事を離れてプライベートで食べる、なんのへんてつもない食事。好き嫌いはまったくなくて何でも食べます。仕事柄、初対面の人にはベジタリアンとかマクロビ信者と間違われたりするんですが、ベビースターラーメンが大好きだし(笑)、コンビニのおにぎりだっておいしく食べる。
 実は以前出した『「ビオファームまつき」の野菜レシピ図鑑』がリニューアルされて近々発売されるんです。レシピも料理もぜんぶ自分で考えました。ここには私の「こころのキッチン」がストレートに反映されているかもしれません。

(2010/08/10)

「ビオファームまつき」ホームページ
http://www.bio-farm.jp/
レストランは本格的なフレンチで1年中オープンしている。コンセプトは「シンプル(単純なこと)」「プリムール(旬なこと)」「テロワール(土地に由来すること)」。野菜だけではなく、魚や肉などの食材にもこだわっている。
テーマである「循環」を実現するため、レストラン屋根部分には太陽光パネルが設置され、キッチンオフィスの照明をLEDでまかなっている。バイオマス利用による床暖房やビニールハウス内の暖房も計画中。