「ここきち」が選んだ旬の人にお話を伺いました。

1960年、千葉県生まれ。東京農業大学卒業後、船橋市民生協(現ちばコープ)に入り流通を学ぶ。88 年より千葉の妻の実家で農業に携わる。98年、(株)ジェービービーに入社、ステビア農業資材の研究員に。東北大学や千葉大学との共同研究、住友化学(株)との商品の共同開発に従事するかたわら、農水省後援の食のイベント「ニッポン食堂」にも参加。09 年、「ニッポン食堂」主催メンバーと同名の会社を起業。
日本の食の風景「こころのキッチン」を守り、育てて行くために、様々な立場の、様々な人たちが、様々な活動を続けています。今回は、みんなが安心して食を託すことができる“ふるさと”をつくろうと「ニッポン食堂」を始動、千葉県白井市の農園を核に生産者ネットワークを確立して、おいしい野菜を提供している農園長・宇賀俊之さんにお会いしてきました。

イベント名から社名へ。
日本の食の本質に迫る会社の誕生秘話。

 ここ千葉県白井市は、日本橋から直線距離でおよそ30kmしか離れていない、東京のベッドタウンでありながら、大鷹やフクロウといった野性動物が数多く生息する自然保護区域です。私が農園長を務める「ニッポン食堂」では、そんな自然豊かな里山の休耕地を活用して農園を作り、近隣の優良生産者たちをネットワークでつなげて、皆さまに安全でおいしい旬の野菜や果物をお届けしています。
 そもそも「ニッポン食堂」は2006年3月、目黒雅叙園で開催された“大人の食育イベント”でした。イベントを仕掛けたプロデューサー(㈱ビー・ブレーブ代表取締役会長 勝本俊朗氏)は、いまの僕の仕事上のパートナーでもあります。彼は「食育の観点から、最高の料理人と最高の食材提供者が手を組んだらどんな素晴らしいことができるのだろう?」というアイデアをイベントという形で実現しました。おかげさまで大成功をおさめ、同年8月にはホテルグランヴィア京都で第2回を、翌年6月には再度目黒雅叙園で第3回を行うに至りました。
 僕はそのころケミカルで荒れて疲れきった農地をなるべく自然の状態に戻し、安心安全な野菜を作ろうという農業関係の仕事をしており、最高の食材を集めるため農家さんに交渉する仲介者としてイベントに関わることになりました。しかし最終的に感じたのは、「結局はシェフに目が行ってしまって、農家や漁師といった第一次産業の人には光が当たりにくい」ということ。プロデューサーの勝本氏も僕の意見に同意し、イベントは第3回でペンディングとなりました。
 話は前後するのですが、この少し前に僕の妻がスキルス性の胃ガンになりました。医者から「3ヵ月の命、手術すれば1年は保つ」と言われたとき、手術で命を長らえるのはあきらかに人間の尊厳とは関係がないと思い、「手術はしない! 僕が治す!」と啖呵を切って病院を出ました。
 そして何をしたか。全国の農家から良い食材を集めて、食餌療法をしたのです。それまでの仕事の関係で全国の優秀な農家と付き合いがあり、また彼らの作る野菜や玄米のおいしさ、瑞々しさを直に知っていた僕は、そのような生命力にあふれた食べ物で妻の病気を治そうとしたのです。
 1年後、妻はかなり回復しました。結局、ガン発覚から4年後に他界しましたが、このときほど健康と食が大きく関わっていることを実感したことはありません。
 妻を見送ったあと、介護のために会社を辞めていた僕に声をかけてくれたのが、先のプロデューサーである勝本氏でした。彼は言いました。「農業の本質に迫る事業をやってみないか」。こうして「ニッポン食堂」は株式会社として再始動したのです。
白井市は梨の名産地。梨は本来、一輪の花に8〜16個が結実するが、その中から最良の1個を選定して栽培している。
今年6月、休耕地が1つ復活したので、会員みんなで収穫できる野菜と千葉県らしい作物を栽培しようと、サツマイモ(上)と落花生(下/写真は収穫寸前)を植えた。

生命力のある野菜とは、
「腐る野菜」ではなく「枯れる野菜」。

 昨今、「安全で安心な野菜」「おいしい野菜」はよくPRされていますが、僕はそこに「じゃあ本当にいい野菜ってなんだろう?」という議論がないように思います。
 僕にとっての「本当にいい野菜」とは、生命力がある野菜です。それはもちろん、農薬たっぷり化学肥料たっぷりではできない。
 しかし、人間も予防接種を受けるように、悪い病気が蔓延しそうなときは、その前の適切な時期に弱い薬を1、2回使うことは正しい方法ではないでしょうか。子ども時代に大病をした人は、大人になってもそれを引きずります。野菜も一緒で、一度大病させてなんとか生き残ったものよりも、大病を避けて健康に育った野菜のほうが、生命力があるのです。
 おもしろい話があります。野菜の宅配を初めて1年半ですが、最初のころにたくさんあったクレームは、「野菜の日持ちがよすぎる」ということ。「完熟で届いたのに、冷蔵庫に2週間入れても腐らない。やはり薬を使っているのではないか?」というわけです。
 しかし、まさにそれが生命力がある証拠なのです。時間が経てば多少味は落ちますが、日持ちはする。そして最終的には冷蔵庫内でミイラ化します。「枯れる野菜」という言葉を聞いたことはありませんか? 生命力のある野菜は、腐りません。ミイラみたいに枯れるのです。それこそが、野菜が健康に育って収穫された証なのです。
 現在、農家の人口というのは、全日本人のたったの2.5%です。その人たちが日本の40%の食を供給している。しかも高齢化がどんどんと進むなか、彼らが流通業者、市場関係者、仲卸業、スーパーで働く人たちまでを食べさせ、残りで自分たちが食べているのです。こういう現実に日本人はきちんと目を向けるべきではないでしょうか。
 ニッポン食堂では、旬の野菜や果物を農家から現金で買って、顧客に送っています。宅配ボックスを頼んでくれる一般の方たちには、毎週/隔週/月1回のコースを選んでもらい、レストランの場合は、こちらから採れる野菜や果物の情報を提供して、欲しいものを聞くという形を取っている。つまり御用聞き、「サザエさん」の三河屋さんのようなことをしているのです。
 お届けの品々は、この辺りで採れるその時々の最高のもの、一品一品がお取り寄せできるくらい素晴らしくおいしいものと自負しています。その価値、野菜の生命力を感じてくれたら、本当に嬉しいです。
ニッポン食堂で扱っている野菜はこのように枯れる。下から順に、白ナス、キュウリ、人参、ナス(2つ)。
ニッポン食堂 農園長 宇賀俊之氏
ニッポン食堂では田植えや稲刈り、芋掘りなど実際に「ふるさと」を体験できるイベントを開催している。写真は9月23日の芋掘り。

「ふるさとの祖父母」が作る野菜を買い支え、
里山の風景を守りつづける、というプロジェクト。

 最近、個人的に興味があるのは「月と農業」の関係性です。
 病気・虫からの防除は、「病気や虫に冒されないように最大限の努力をして、それでも冒されたら農薬を使いましょう」というのが現代農業の基本です。でも昔の人は、「虫は絶対に出る。だったら出るタイミングを認識し、小さいうちに弱い薬で防除しよう」と考えていた。
 釣り好きの人に教わったのですが、満月の日は魚が獲れないそうです。夜が明るいから安心して餌をつかまえられるので、昼間に釣り糸をたらしたところで、見向きもされないらしい。
 それと同様に、蝶は昼間は鳥に食われるけれども、夜は食われないから、満月の日に安心して交尾をし、タマゴを生む。そして3日後くらいに孵化する。虫によって違いはありますが、だいたいは満月前後だとか。そのような生まれたばかりの弱い虫であれば、極端なことを言えばお酢をかけるだけで死んでしまう。つまり弱い薬で充分だということ。そういった月の動きを追いかけるだけで、農薬に頼らずとも、ある程度おいしくて安全な野菜が育つのです。
 半年に一度勉強会と称して、こういう話を農家さんとするのですが、最初は頭がおかしいって思われていました(笑)。でも真剣に話していくと、「うん、そういう考えもあるか」なんて認めてくれたりして。日々研究を重ねている優秀な農家さんたちでも、方法論がマンネリ化するときはあるし、僕の話が少しでも活性剤になればいいなと思います。
 誰にとっても、究極の食の安心は自分でつくることです。でも都会に住む多くの人たちにとって、それはとても叶わない夢。だったら皆さんが安心して食を託せる“ふるさと”をつくろう。「ニッポン食堂」が田舎のおじいちゃん、おばあちゃんとなって、安全でおいしい野菜や果物を届けよう、それが「野菜の里親プロジェクト」です。
 現在では野菜の宅配以外に、農業体験などのイベントも開催しています。僕は白井市に生まれ育った人間なので、白井市がいま希少価値の高い地域となって、みなさんの心のふるさととなったことは、本当に嬉しいです。
 僕にとっての「こころのキッチン」ですか? そうですね、やはり子どものころに母が竈で火を炊いて食事を作っていた光景が浮かびます。土間の入り口には薪と屑が置いてあって、竈は3つ、そのうちの2つはいつもフル稼働で煮炊きに使われていました。当時うちでは味噌汁を「おみおつけ」と言っていたのですが、新米の塩結びとおみおつけがあれば幸せでしたね。あのような食の感動を、いまの都会の皆さんにも味わっていただけたらと願っています。
(2010/10/13)

ニッポン食堂HP
http://www.nippon-syokudou.com/
5月30日、東都京葉ボーイズ(硬式野球の少年チーム)とその父兄を中心に総勢60名で行われた田植え風景(上)。8月の同じ田んぼの風景(下)。
09年6月に出版された雑誌「ニッポン食堂」のプレ号。今後も不定期で出版される予定だとか。