人と人との絆をつないでいく、
サロンのようなレストラン。
JR郡山駅で新幹線から在来線に乗り換えて2駅。同時期に桜と梅と桃が咲くことから「三春」という名を持つその小さな駅に降り立つと、薄日が指す中、雪が舞ってきました。タクシーに乗って西田町方面へ10分あまり、道沿いに洒落た書体で書かれた「el TAPADO」という看板があり、坂道の上にがっしりとした大きな古民家が静かに佇んでいます。
天井の高い、大きな玄関ホールには、朝採りの野菜が籠いっぱいに摘まれています。仕分け作業をしていた永井益美さんと、お嬢さんである有利子さんが笑顔で迎えてくれました。
なんとおふたりは東京出身。益美さんがこの三春の築150年の古民家に引っ越してきたのは3年数ヶ月前のことで、数十年も空き家でほぼ廃屋状態だった建物を全面改装し、庭で畑を耕し、長年の夢だったスローライフに明け暮れる日々を送っていたそうです。
1年後、東京の会社を辞めてお嬢さんが越してくることになり、それを機にレストランのアイデアが具体的になって、2009年10月に母娘の二人三脚による南イタリアの家庭料理の店がオープンしました。
料理は益美さん、それ以外の接客や会計などは有利子さんが担当しています。「野菜を作って料理を作る母のほうが偉いですよね。だから、実権は母が握っているの」と有利子さんが笑います。
本日はおまかせランチコースをいただくことに。前菜2皿、野菜のポタージュ、ミニグラタン、トリッパのパスタと、その盛りつけの美しさが見事です。もちろん味も絶品。家庭料理とはいえ、コース料理としての完成度が高く、本格的な調理師学校などで学んだことがないとは信じがたい腕前です。
またすでに農業宿泊体験や、英会話教室を開き、今後は料理教室なども行う予定だとか。単なる食事処にとどまらない、地元のコミュニティの場として広がって行きそうな気配です。
定年後にイタリアへと1年語学&料理留学。
貴重な体験がレストランの原点に。
益美さんはもともと食や旅に興味があり、娘、友人、または仕事の部下などとしょっちゅう食べ歩きをしたり、知人を家に招き料理を振る舞っていました。いまから30年ほど前、「銀座赤坂六本木」と言われた華やかなりし頃には、フレンチならレカンやマキシム・ド・パリ、日本料理なら美濃吉やなだ万、鉄板焼きならステーキハウス ハマなど、まさにそれらの街の有名店を通いつくしたのだとか。
そのころの思い出話では、5歳になったばかりの娘さんを連れてステーキハウスに行ったとき、一口食べた有利子さんは「おいしい!こんなおいしいもの生まれて初めて!!」と言い、オーナーに「5歳じゃ生まれて初めてのものがいっぱいあるよね」と笑われたそう。なんとも微笑ましいエピソードです。
さて、そんな食通の益美さんの夢は「スローライフ」でした。
「原点はデンマーク人のカールという友人です。30歳のときにアメリカで知り合ったのですが、彼がニューメキシコ州サンタフェの広大な土地に自分で家を建てたんです。テレビはないし、トイレも外のほったて小屋。そういう田舎の暮らしが、なぜかとても快適だった。1週間ほど滞在すると、とてもリフレッシュできたんですよね」
定年後はイタリアへ遊学。シチリア島のタオルミーナと、ナポリから南へ1時間程の所に位置するサレルノに半年ずつ住み、イタリアの家庭料理をホームステイ先のマンマや語学学校の料理コース、現地で知り合ったイタリアンファミリーから学びました。料理好きな彼女はお返しに日本風イタリアン料理を振る舞い、まさに文化交流の楽しい1年だったそうです。
帰国した益美さんは以前から好きな土地だった福島県に目星をつけて家探しを開始、この古民家と出会って「終の住処」に決めました。
「ここで商売をする気持ちはなかったんです。基本的には晴耕雨読というか、畑を耕して、ゆっくり本でも読んで暮らせたらいいなと。でも野菜を東京の友人に送ったり、近所の人たちに料理を振る舞ったりして、『おいしい!』と言われるうちに、お店出してもいいかなと」
ちょうどそんな時期に有利子さんが勤めていた外資系会社を辞め、ふたりで店をスタートすることになったというわけです。
芽を出し、花を咲かせ、実を実らせる。
野菜は実に健気な存在。
野菜づくりは3年目となり、現在では600坪の畑に通年で50種ほどの野菜が育っています。そのご苦労を尋ねると、土が凍って苗が育たなかったことや、除草が大変なこと以外に、やはり「時期」を見極めることが難しいとおふたりは言います。
「こちらの人は3月下旬とか4月上旬とか言わないで、『ジンチョウゲが咲いた頃』とか『桜の花が散った頃』とか言うんですよね。そのときに種を蒔いたり、苗を植えたりする。そういう地元の人々が持っている季節のタイミングをまだ知らないので、そこが身に付くともっと楽になるのではないかしら」と益美さん。
それでも初心者だからこその嬉しい発見があったそう。「白菜を収穫したあと放っておいたら、そこに菜の花が咲いたんですけど、その菜の花がとってもおいしかったんです。これはこの地方の特産にすべきだって母と盛り上がったの」と有利子さん。
また芽を出した野菜や植物たちは、なんとしてでも花を咲かせ、実を実らせようとします。「存在が健気なんですよね。次の世代に残そうとする意志がありありと伝わってくる」と母が言えば、「ちょっと折れただけでも『ごめんね』という気持ちになる。立派な実を結べば『がんばったね』と言いたくなる。『寒そうね。藁をかけてあげようか?』とか『あんたたち、なんでそんなに絡まってるの?』なんて、畑でよく野菜相手に独り言を言ってます。」と娘が笑います。
二人の畑仕事は今後も苦労と喜びの連続で、ふたりの絆をさらに一層深めていくことでしょう。そしてそんな二人のレストランは、地元の人と人の繋がりも紡いでいくに違いありません。
(レポート: k.hori/2011-1-12)

写真はおまかせコース2,100円。前菜4品(上)は鴨のパストラミ、ロマノブロッコリー、紫大根のゆず胡椒ソース、人参とフェンネルのサラダ。前菜3品(左)はツナムース、トマトとカッテージチーズのブルスケッタ、アランチーニ(シチリアのライスコロッケ)。白菜とハムのマッシュルームソースのグラタン(右中)。野菜のポタージュスープ(右下)。メインがトリッパのトマトソースパスタ(中央)。

敷地内に600坪の自家菜園があり、近所にも1000坪の畑を借り受けている。営業日には店頭にて採りたて野菜の直売も行っている。また野菜1箱、送料込みで2,500円(関東地区限定)で通信販売あり。(関東地区以外への送料は別途お問い合わせ)

築150年の古民家を改築して、住居とレストランを併設した農家民宿&菜園レストランに仕上げた。なお「el TAPADO」はスペイン語の古い言い回しで「埋もれた宝」を意味する。

薪ストーブを設置したリビング。天井が高く、開放感がある。食後にここでおしゃべりしていくお客様も多いのだとか。

リビングのソファーに座る永井益美さん、有利子さん母娘。「一番大切なものは人と人との縁です。ここがそういう縁を紡ぐ場所になってくれたら」と益美さん。